2012年8月25日土曜日

お宝公開!その1 メニュー編 (10)『Caviar Kaspia』キャヴィア カスピア

表紙 見覚えのあるロゴ・マークです。PARIS(パリ)編 その1
「Caviar Kaspia」
「キャヴィア カスピア」

【1992~1994年頃】
マドレーヌは老舗・有名店が囲んでいます。なぜかキャヴィアはここです。応対がフレンドリーなのがいいのかな。お客さんが楽しそうなのもいいな。
毎回(といっても3回)、必ずいるロシア系らしいおじいさんは若い女性を連れてきていて、彼女が綺麗に見えるようにと照明とテーブルの位置をほんの僅か変えさせていました。(私の友人も同じ経験。この人がオーナーではないか?永年のソワニエ?)
日本人デザイナーさんと、そのスタッフさんのテーブルには1kgカンが幾つも並んでいたことも。と、いつもにぎやかでした。
表紙 見覚えのあるロゴ・マークです。
表紙 見覚えのあるロゴ・マークです。
開くと、ロゴだけ
開くと、ロゴだけ
左ページは英文
左ページは英文
右ページは仏文。当然ながらシンプルです。
右ページは仏文。当然ながらシンプルです。
最後のページ
最後のページ

2012年8月23日木曜日

メニューを離れて(4)Ile d’OUESSANT -イル・ド・ウエッサン-

【1991年頃】
「イル・ド・ウエッサン」で「P.H」先生(当時ブレストの公立料理高校の先生でした)に海藻料理を、ご馳走になりました。
その日の朝、ブレストの空港(ブルトン語でギパヴァスでしたか?)は霧のため、先に行っているはずの先生と一緒の飛行機になりました。先生がレストランで料理をしている間に、海藻の養殖を研究している人の養殖場を見学させていただきました。全てが自製のプラントで、「いつでも量産が可能だ」といってました。ココにも海藻に取り付かれた人がいると感動した事を思い出します。(同様の研究はCEVAでも行われていました)
海藻を使った昼食を戴きました。そのときのメニューはありませんが、ルセットブックをいただきました。
「ブルターニュの海藻と料理」60ルセット
「ブルターニュの海藻と料理」
60ルセット
ムールに「わかめの出汁」を加えようという考えです。ムールに「わかめの出汁」を加えようという考えです。
初夏の頃から、ブルターニュからノルマンディの海岸沿いはどこでもムールがうまい!
最初の一つは鋏にしやすいのを選んで、貝の鋏でちょんちょんつまんでいくと100個くらいはたちまちです。後には空の貝が「くくくく」と連結します。
「EDDIE H.HARA」(フランス1987年刊)さんの本にもフランスで出会いました。
「EDDIE H.HARA」(フランス1987年刊)さんの本にもフランスで出会いました。
海藻を使ったマクロビオテック料理です。
さすがに「塩」は「海塩」を指定しています。
白アスパラに「わかめ・のり」ソースです。
白アスパラに「わかめ・のり」ソースです。
チト怖い(?)ポスター 「Ile d’OUESSANT近海での海難事故」(およそ1739~1988年の間)チト怖い(?)ポスター
「Ile d’OUESSANT近海での海難事故」(およそ1739~1988年の間)
調べた人がいるんですね、船の形までイラストになっています。

2012年8月10日金曜日

お宝公開!その1 メニュー編 (9)『La Cotriade』 RENNES『 ラ コトリアード』 レンヌ

表紙はブルターニュの伝統を思わせます。Bretagne(ブルターニュ)編 その5
「La Cotriade」 RENNES
「ラ コトリアード」 レンヌ

【1991年頃】
フランス料理がフランス地方料理のあつまりであることは楽しみを拡げるものです。
ブルターニュ料理は、様々な食材に恵まれた土地柄、独特のものがあるようです。
ブルターニュの入り口の町「レンヌ」にある「ラ コトリアード」は、このブルターニュ地方料理そのものを店名にしています。「コトリアード」は南仏でいえば「ブイヤベース」、カタルーニヤでいえば「サルスエラ(zarzuela)」に近い、魚介の煮込みです。

メニューは当然ブルターニュらしいメニューなのでいただきました。料理は、どれも大変なボリュームのようで、ご自慢の「コトリアード」はドンと大き目のキャセロールで出てきます。ここでも魚介メインになっています。
表紙はブルターニュの伝統を思わせます。
表紙はブルターニュの伝統を思わせます。
左ページは「メニュー」3種です。チーズは「Mr. BORDIER」で統一していました。
左ページは「メニュー」3種です。
チーズは「Mr. BORDIER」で統一していました。
右ページは「アラカルト」でデザートのボリュームも大変。シェフは「イヴィリク モニィ」氏です。下に記念の書き込みをしてくれました。
右ページは「アラカルト」でデザートのボリュームも大変。
シェフは「イヴィリク モニィ」氏です。下に記念の書き込みをしてくれました。
裏表紙には「コトリアード」の説明があります。
裏表紙には「コトリアード」の説明があります。
「・・・もし貴方がブルトンでないなら、ひとこと“ポテ”と言ってください・・・プロヴァンスのお故郷料理ブイヤベースのような、ブルターニュのお故郷料理です」
「・・・もし貴方がブルトンでないなら、ひとこと“ポテ”と言ってください・・・
プロヴァンスのお故郷料理ブイヤベースのような、ブルターニュのお故郷料理です」

2012年8月9日木曜日

メニューを離れて(3)「ベル イル秘話」 その2

【1992年頃】
「ベル イル」に行くには、ロリアンから4~5人乗りの小型機(セスナ?)で行く方法もあります。わずか15分ほどでしょう。定期便というより、飛行機クラブの人に乗せてもらうといった雰囲気です。一度「キブロン・ルゾンボベ」の研究所・センターを上から写真を撮りたいと思って飛んでもらいました。良い写真が取れましたが、今となっては、「グーグル」でしっかり見られるわけです。「ベル イル」の空港は一本の砂利道の滑走路があり小さなクラブハウスのような建物があるだけでした。

帰り、約束の時間にクラブハウスに行くと、来る時と同じパイロットのおじさんが、バーのカウンターで待っていてくれました。搭乗ゲートなどありません。荷物を運んでくれました。快適なフライトでした。チョット気になったので「こういう時のむのは赤?白?」と聞いてみましたが、それには答えず「簡単だよ、やってみる」といって上下、左右している内にたちまち着陸です。着陸と同時に「今日はワインがちょうど良かったから、一番うまく出来た!」冗談か、半分本当か、いまだに謎です!

メニューを離れて(2)「ベル イル秘話」 その1

【1992~1994年頃】
島に渡るにはキブロンから船で40分~50分程です。夏はべた凪の日が多いですが、冬は気をつけないと嵐のために帰れなくなる事がたまにあるそうです。

タラソの体験や仕事を終えて、港に着いた時に、帰りの船が来るまで若干時間がありました。港に一番近いカフェ・レストランに陣取ってカフェをしながらも、やはり食べ物の話になります。ひげの「H・D」と赤ジャケットの「P・S」が言うには「昨夜のカキは、大きかったけど味がいまいちだった」。私は「ブロンはおいしかった」等と話しているうちに、二人がいなくなって、間もなく「裏通りに魚屋があった!」といって、真カキとブロンを1ダースづつゲットしてきた。レストランから食事用のナイフを借りて来て小ぶりのカキをあけた。コレはうまかった。ブロンは「03」サイズ以下くらいしかなかったが独特の「こく」があった。ひげの「H・D」は「天然ものだ」といったが、本当かな?
あっという間に食べてしまった後には、グニャ・グニャに曲がったナイフが5本ほど残った。お金を少し置いて「もっといいナイフを!」と赤ジャケの「P・S」が言い放って全員船に飛び乗った。ハンカチでカバーしたが、みんな少し手に傷があった。

メニューを離れて(1)「カルナック・キブロン」

【1992~1994年頃】
カルナックの巨石遺構群が何を意味するものかは、史家の研究に待つしかありませんが、私にとっては、巨大なエネルギーが集積された、パワースポットとして「永遠」を語りかける場所です。
こういった物で時々「パワー」を思い出します。
ケルト文様のバッヂ(説明文)ケルト文様のバッヂ

ここのタラソテラピーセンターは以前からダイエットに特徴を出しています。
こんな、メニューをいただきました。大丈夫だろうかと思うほどボリュームがありますが、さすがに2時間もすると胃がストンと軽くなります。
メニューの表紙こんなメニューをいただきました

キブロンの「ルイゾン・ボベ」のタラソテラピー研究所とセンターはタラソテラピー第二の聖地とも言われるほど、実績をあげてきたところです。(ちなみに第一の聖地は民間療法であった海水療法を発展させた、ロスコフのロックロウムセンターでしょう)
夏になるとバカンス客で活気にあふれます。干潮時に永く伸びる砂洲に多くの釣りを楽しむ人の行列が出来るのは壮観です。オフシーズンは曇り空の多い日が続くブルターニュの荒涼とした風景になります。ところで、私は「ブルターニュの晴れ男」です。「ムッシュ アーさんがブルターニュに来ると昨日まで雨だったのに天気がよくなった!」と、必ず言われました。少し自慢でした。(たまたま良い天気になると誰にでも言うらしいです)