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2012年10月26日金曜日

メニューを離れて(6)「心強い日本人シェフ!」 その4 パティシエ編

「心強い日本人シェフ!」 その4 パティシエ編
Coupe du monde pâtisserie 2007
De l'or pour le Japon!!
クープ デュ モンド パティスリー 2007年
金メダルは日本に!!

「ポール ボキューズ ドール」と同時開催の「パティスリー ワールドカップ」で、ベルギー、イタリアを押さえて、02年、03年と二位だった日本が金メダルを獲得(1991年にも優勝)。翌朝の新聞に掲載されました。
日本のレベルの高さは世界的にも評価されていることは知っていましたが、リヨンまで行った私としても、なんとも誇らしい気持ちになりました!
当時のチームメンバーはこちら(社団法人 日本洋菓子協会連合会 ホームページ内)。
偶然、パリからの帰国便も一緒でしたが、晴れ晴れとした、達成感に満ちたつわもの達で、連れ合いと二人で、心から大拍手をしました。
2007年1月24日朝刊、リヨン・エディションです。
2007年1月24日朝刊、リヨン・エディションです。
トップは「ポール ボキューズ ドールは今夕発表」の記事です。
トップは「ポール ボキューズ ドールは今夕発表」の記事です。
その下に「金メダルは日本に」の記事
その下に「金メダルは日本に」の記事
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2012年10月3日水曜日

メニューを離れて(6) 「心強い日本人シェフ!」 その3

心強い日本人シェフ!その3
KEISUKE MATSUSHIMA Nice
ニース 「ケイスケ マツシマ」

【2007年】
鮮烈な登場でした。ニース郊外に取引先がありましたので、評判は耳にしていました。新装後、まもなくお邪魔しました。
星付きレストランの概念を変えさせられました。
食事中2回(3回?)も、シェフが全テーブルを見て回っていました。
ラディッションの時はわざわざ御見送りしていただき、すっかりメニューを戴くのも、写真を撮るのもわすれてしまいました。
地元の人たちに大好評なのも良く理解できました。
あの「KEISUKE」のレストランに星が付いたと、自分に星が付いたように喜んでいるお客さんの雰囲気が伝わりました。

次世代の若者に栄光あれ!
パンフだけ戴いてきました。内装と同じようにシックな色使い
パンフだけ戴いてきました。
内装と同じようにシックな色使い
入り口
入り口
署名はありませんが、どなたかの紹介文です
署名はありませんが、どなたかの紹介文です
木の質感を生かし、とにかくシンプル。
木の質感を生かし、とにかくシンプル。
木の質感を生かし、とにかくシンプル。独特な感性の持ち主
独特な感性の持ち主
裏表紙
裏表紙
ホテルにコンファームのメッセージが・・・
ホテルにコンファームのメッセージが・・・

2012年9月27日木曜日

メニューを離れて(5)「心強い日本人シェフ!」 その1・その2

心強い日本人シェフ!その1
PARIS 「Les Georgiques」 K.ISHIMARU
パリ 「レ ジョルジック」

初めておじゃましたのは1988年か89年。骨太・がっしりのフランス料理に真正面から対峙している姿勢に、びっくりしました。今でも鮮明に思い出せます。
シェフ・石丸氏は現在、中目黒で調理三昧の「石丸館」を開いているようですが、なぜか、未だにいけません。
よいお客さんに恵まれて「食」の楽しさを分かち合っている様子が目に浮かびます。
「気楽に来なさい」なのでしょうが・・・思い切って近いうちに、私をためしに・・・
レ ジョルジック/カード(表)レ ジョルジック/カード(裏)





心強い日本人シェフ!その2
PARIS 「Les Cartes Postales」
パリ 「カルト・ポスタル」

すっかり、パリになじんだ、定点。パリに永く在住のマダムたちが御買い物ついでにディジュネ。「裏原」「神楽坂」「南青山」散歩に似た雰囲気のカルティエでランチ。ほっと一息の出来るプチレストラン。もう永いですね。
ガイドブック片手にたずねる旅行の人にもやさしい対応がWATANABEシェフの人柄をおもわせます。
カルト・ポスタル/カード(表)カルト・ポスタル/カード(裏)

2012年8月23日木曜日

メニューを離れて(4)Ile d’OUESSANT -イル・ド・ウエッサン-

【1991年頃】
「イル・ド・ウエッサン」で「P.H」先生(当時ブレストの公立料理高校の先生でした)に海藻料理を、ご馳走になりました。
その日の朝、ブレストの空港(ブルトン語でギパヴァスでしたか?)は霧のため、先に行っているはずの先生と一緒の飛行機になりました。先生がレストランで料理をしている間に、海藻の養殖を研究している人の養殖場を見学させていただきました。全てが自製のプラントで、「いつでも量産が可能だ」といってました。ココにも海藻に取り付かれた人がいると感動した事を思い出します。(同様の研究はCEVAでも行われていました)
海藻を使った昼食を戴きました。そのときのメニューはありませんが、ルセットブックをいただきました。
「ブルターニュの海藻と料理」60ルセット
「ブルターニュの海藻と料理」
60ルセット
ムールに「わかめの出汁」を加えようという考えです。ムールに「わかめの出汁」を加えようという考えです。
初夏の頃から、ブルターニュからノルマンディの海岸沿いはどこでもムールがうまい!
最初の一つは鋏にしやすいのを選んで、貝の鋏でちょんちょんつまんでいくと100個くらいはたちまちです。後には空の貝が「くくくく」と連結します。
「EDDIE H.HARA」(フランス1987年刊)さんの本にもフランスで出会いました。
「EDDIE H.HARA」(フランス1987年刊)さんの本にもフランスで出会いました。
海藻を使ったマクロビオテック料理です。
さすがに「塩」は「海塩」を指定しています。
白アスパラに「わかめ・のり」ソースです。
白アスパラに「わかめ・のり」ソースです。
チト怖い(?)ポスター 「Ile d’OUESSANT近海での海難事故」(およそ1739~1988年の間)チト怖い(?)ポスター
「Ile d’OUESSANT近海での海難事故」(およそ1739~1988年の間)
調べた人がいるんですね、船の形までイラストになっています。

2012年8月9日木曜日

メニューを離れて(3)「ベル イル秘話」 その2

【1992年頃】
「ベル イル」に行くには、ロリアンから4~5人乗りの小型機(セスナ?)で行く方法もあります。わずか15分ほどでしょう。定期便というより、飛行機クラブの人に乗せてもらうといった雰囲気です。一度「キブロン・ルゾンボベ」の研究所・センターを上から写真を撮りたいと思って飛んでもらいました。良い写真が取れましたが、今となっては、「グーグル」でしっかり見られるわけです。「ベル イル」の空港は一本の砂利道の滑走路があり小さなクラブハウスのような建物があるだけでした。

帰り、約束の時間にクラブハウスに行くと、来る時と同じパイロットのおじさんが、バーのカウンターで待っていてくれました。搭乗ゲートなどありません。荷物を運んでくれました。快適なフライトでした。チョット気になったので「こういう時のむのは赤?白?」と聞いてみましたが、それには答えず「簡単だよ、やってみる」といって上下、左右している内にたちまち着陸です。着陸と同時に「今日はワインがちょうど良かったから、一番うまく出来た!」冗談か、半分本当か、いまだに謎です!

メニューを離れて(2)「ベル イル秘話」 その1

【1992~1994年頃】
島に渡るにはキブロンから船で40分~50分程です。夏はべた凪の日が多いですが、冬は気をつけないと嵐のために帰れなくなる事がたまにあるそうです。

タラソの体験や仕事を終えて、港に着いた時に、帰りの船が来るまで若干時間がありました。港に一番近いカフェ・レストランに陣取ってカフェをしながらも、やはり食べ物の話になります。ひげの「H・D」と赤ジャケットの「P・S」が言うには「昨夜のカキは、大きかったけど味がいまいちだった」。私は「ブロンはおいしかった」等と話しているうちに、二人がいなくなって、間もなく「裏通りに魚屋があった!」といって、真カキとブロンを1ダースづつゲットしてきた。レストランから食事用のナイフを借りて来て小ぶりのカキをあけた。コレはうまかった。ブロンは「03」サイズ以下くらいしかなかったが独特の「こく」があった。ひげの「H・D」は「天然ものだ」といったが、本当かな?
あっという間に食べてしまった後には、グニャ・グニャに曲がったナイフが5本ほど残った。お金を少し置いて「もっといいナイフを!」と赤ジャケの「P・S」が言い放って全員船に飛び乗った。ハンカチでカバーしたが、みんな少し手に傷があった。

メニューを離れて(1)「カルナック・キブロン」

【1992~1994年頃】
カルナックの巨石遺構群が何を意味するものかは、史家の研究に待つしかありませんが、私にとっては、巨大なエネルギーが集積された、パワースポットとして「永遠」を語りかける場所です。
こういった物で時々「パワー」を思い出します。
ケルト文様のバッヂ(説明文)ケルト文様のバッヂ

ここのタラソテラピーセンターは以前からダイエットに特徴を出しています。
こんな、メニューをいただきました。大丈夫だろうかと思うほどボリュームがありますが、さすがに2時間もすると胃がストンと軽くなります。
メニューの表紙こんなメニューをいただきました

キブロンの「ルイゾン・ボベ」のタラソテラピー研究所とセンターはタラソテラピー第二の聖地とも言われるほど、実績をあげてきたところです。(ちなみに第一の聖地は民間療法であった海水療法を発展させた、ロスコフのロックロウムセンターでしょう)
夏になるとバカンス客で活気にあふれます。干潮時に永く伸びる砂洲に多くの釣りを楽しむ人の行列が出来るのは壮観です。オフシーズンは曇り空の多い日が続くブルターニュの荒涼とした風景になります。ところで、私は「ブルターニュの晴れ男」です。「ムッシュ アーさんがブルターニュに来ると昨日まで雨だったのに天気がよくなった!」と、必ず言われました。少し自慢でした。(たまたま良い天気になると誰にでも言うらしいです)